からすのしっぽ

日々のおおまかなことを書いています。

2024-01-01から1年間の記事一覧

眼鏡を外して裸眼で過ごす

眼鏡をかけている。けれども眼鏡に頼って過保護にするのも違う気がする。十代後半くらいから視力が下がり続けて、視力検査のあの表の一番上のマークもぼんやりするようになって、動体視力もどこへいったのやら、キャッチボールはこどものころのように目と体…

すなおさを育む

昭和歌謡ポップス名曲選なる楽譜を買って「これは上野発の夜行列車……の音なんかじゃあない」とブツブツしている今日このごろ。メロディをなぞるのは簡単だけれど、なかなかにむずかしい、むずかしい、むずかしい。白と黒をしばらくにらめっこしたのち、わけ…

ごちゃごちゃのなかに芽がある

雷雨。強風を伴う。夜通し降っていた雨が朝を迎えても降り続いている。ときどき雷の重たいうなりが聞こえたが停電になるような事態にはならなかった。それにしても、日ごろ雨にあわないということもあって、この時期の季節を運ぶ雨はうれしいものだなあと感…

すきなものは一貫している、はず。

ドライブのおともに秋吉敏子さんのアルバムをそこそこの大音量でかけて、雨の、それも霧景色のなかの帰宅となった。昨夜はいつもより遅い食事と入浴となったので日にちが変わるころに眠り、いつもより遅めに起きようと思っていた。が、そういうときに限って…

食べることの余白を身につけたい

感情の波が激しく動いたときは食べないほうがいい。と何かで読んでからそういう状況になったときはゆるめの断食をするようになった。感情が重たいぶん胃腸に負担がかかることを体感しているので、ある程度の空腹もそこそこに受け流せるようになった。ちゃん…

こころがきょろきょろしている

あか、しろ、き、あお、みどり、などの色の数は年齢を重ねるとともに増えてきた。このごろは筆圧を調整して濃淡をつける以外に色々な技法を手に入れたくなる。色と色を重ねるのではなく、ひとつの色から、その内側にある深さをのぞいてみたい。という好奇心…

『なんでもいい』感覚を大事にしたい

夜明けのころ横殴りの雨が窓を叩いていた。雨というよりもあられのような衝突するような強い音で、まだまだ冷えるなあと思っていたら今日いちにちはずいぶんと寒い。太陽が顔を出すかと期待したが分厚い雲が勝り、気温も上がらず室温も上がらず、なんだか底…

まねしてまなぶ

年少ねこちゃんのとろちゃんは、うんちをするのがへたくそ。通常はうんちをすると手で砂をかけて隠す。とろちゃんは(どんくさいので)トイレのふちをかいて砂をかけているつもりでいる。そうして一生懸命に砂をかけた気になって、足元にあるうんちを踏んで…

からだのこえをきく

腰回り(いのちがうまれるところ)の不調は創造性の欠如だなあ。なんてことを省みて幾日か経つ。過去の環境に適応するために成った鎧を、いまだに『いまも必要としている』とボケていたことを自覚してなんとか改善しそうだけれど、癖は一朝一夕に直らないの…

『間』を感じること

間をとることが上手なひとは発信力や伝達力が長けているような気がする。『長けている』というのは、難しい言葉をたくさん知っているとかそういうことじゃなくて、喜怒哀楽のきっぱりとしない曖昧な表情をもしっかりとくみとって受け手へ鮮明に伝えるちから…

コンビニでツバメちゃんをみた

夕暮れどき。仮眠をしようとコンビニの駐車場に車を停めると、一羽のツバメちゃんが軒下にやってきて、たぶん巣をどこに作ろうかあたりをつけているんだと思う。何度も行ったり来たりして、どうしようか、ここにしようか。なんて考えている様子だった。とき…

ひとつずつ、を確かなものにしたい。

ちょっと集中して読みたいな。と本をポケットにいれて散歩へ行く。体力低下を感じながら「もうすこし、もうすこし」と冷たい向かい風をあびながらたったか歩く。三十分ほど歩いてたどり着いた目的地の珈琲やさんは臨時休業で開いていなくて、すこしのどが渇…

自己表現のための言葉を見直す

karasunoshippo.hatenablog.com 追記のような。たとえば『被害者』『加害者』というように線を分ける言葉を用いるのは客観的に整理するための道具であって、感情のなかに押しこむものではない。そうしなければ怒りや失望感などを処理できない過程が一時的に…

珈琲を淹れる

冷たい雨が降りしきるけれど白い息を見ることが減ったような気がする。台所の凍てつくような寒さでは珈琲がすぐに冷めてしまうので真冬のあいだは小鍋で煮出していた。ここのところは急須で淹れている。ドリップバッグにそおっとお湯を注いでいた時期もあっ…

だんだんと

ただ共感して褒めるだけの感想より、思っていることをすべて話してくれるひとは貴重だなあと思う。『だんだんと、形ができる。』を体験できる機会があるのは、いつになってもうれしいもんだなあ。電車もバスも一時間に一本の地域だけれども、テキトウに家を…

どうぶつとの距離感

あかんぼうのころからどうぶつが身近にいるひとは、生涯どうぶつに好かれるのだろうか。ときどき、わんちゃんやねこちゃんがあかんぼうの面倒をみている様子をテレビなどで見るけれど、わたしもねこちゃんに育てられたひとで。その影響なのか。わたしはずっ…

一週間をふりかえる

あれまあ。もう金曜日。なりわいにしたいことの下地を作ろうと0.2mmほどのゆるやかなスモールステップをしている日々。家に引きこもって人に会って話す機会があまりないので、かわり映えのない単調な日々なのだけれど、その数少ない談笑からスパイスを『ピッ…

ねこちゃんのこと

オス猫のちよちゃんが旅立って季節がひとつ移り変わろうとしている。気が弱くおっとりとした性格でも我が家の猫社会の大黒柱を彼なりに努めていたので、彼の不在により残された三名のレディたちが大きな不安を抱える様子もあり、さらにはちよちゃんが旅立つ…

『便利』との距離感②

なんか気になるけれど、ちょっとどうなんだろうなあ。と、つかず離れずのものと向き合う。いったん入口のほうに行ってみて、どんなかんじかのぞいてみよう。それで駄目なら引き返せばいいし、もしかしたら線になってつながる点と点があるかもしれないし。と…

『便利』との距離感

いつから辞書よりもパソコンを触るようになってしまったのだろう。調べものは辞書を引いたほうが速かったころの、本などの実在する物を触って解決へ向かおうと工夫する感覚はどこへいったのやら。からだを伴って『転んだら起き上がる』ことを経験しないから…

みちくさをする

携帯電話を解約して二年ほど経つ。さいきん、温泉の更衣室でたまたま隣になったおばちゃんに「なか、混んでました?」だとか、珈琲やさんと「寒いですねぇ」なんていう、ふらっと行った先でのちょっとした雑談が楽しいかもしれないと、外出先でGoogleマップ…

ぐううんと広がる

テレビのなかのことなのに、なんだかすぐそばでせかいがぐううんと広がっているような気がして、思わずテレビの裏側をのぞきこんじゃうようなそういうみりょくっていいなあ。とそんなことをかんじる日。

なるようにしかならない

展開、というか、展望、というか。たぶんこの先こうなっていくんだろうなあ。ということを書き出してみようかと思ったけれど、なんだかぼんやり。他者に影響されて抱いた目標とか理想とかそういう尺で測るんじゃなくて、じぶんの素材上そうなるのがしぜんな…

ゆらゆら

じぶんじしんの本質的な部分に触れると眠くなる。幼少期からかくれんぼしていた部分だからか、かくれることには長けているけれど表にでてくるのはどうも苦手。自信がないとか、そういうことばをあてるのはちょっとちがう。自信があるとかないとか、いっちょ…

きげんがわるい物たち

洗濯機エラーで止まることが増えた。もうそろそろ終わると思っていたら序盤で止まっていることがあるので、ときどき「どれどれ」と様子を見に行く。エラー停止あればひとさしゆびで「えいっ」とする。なんだか毎日のように洗濯機を応援している気がする。寿…

雪を感じたい

膝下くらいまで雪が積もる山で育った。いまは雪は降るけれど数センチも積もらない場所で暮らしている。めったに雪が積もることはないが、うんと底冷えするので寒い。冬はとくに育った場所のしぜん環境が肌感覚で恋しくなる。雪のない冬を何度か過ごしたけれ…

観察する練習を

病名や数値にならなくても、おへそのあたりが腑抜けてしまうときは、からだの機嫌が悪いんだなあと思うようにしようと。いままでからだの気づかいをしてこなかったわけではないが、頭痛などの痛みを感じる感受性が鈍いためか、急にガタがくるようなことがあ…

うごく、ふりをする。

なんとなく。きょうから六時起床を心がける。しんどいときはねむる。春分にむけてゆるやかに活動時間が長くなればいい。部屋が明るくなるころねこちゃんが布団の上をてけてけとかけて「にゃあにゃあ」と起こしにくるようになった。日没がゆっくりになったと…

結果にいそがない

「パパにもママにも、学校の先生にもそんなこと教えてもらえんかったから、そっかあ。その手があったかあ~」なんだか不意に、おどろきとはっけんの顔をして手を打っていた男の子を思い出した。 二十代半ばくらい。小学校の学童保育でアルバイトしていたとき…

反省

さみしさに気づくことは怒りを自覚することよりも難しいかもしれない。あかんぼうはさみしいと泣くのに、年を重ねてへたくそになってしまうなんてどうにもひねくれている。 これは治療なのか、エゴなのか。いっしょにくらしているねこちゃんを看取るたびに思…