からすのしっぽ

日々のおおまかなことを書いています。

珈琲を淹れる

冷たい雨が降りしきるけれど白い息を見ることが減ったような気がする。台所の凍てつくような寒さでは珈琲がすぐに冷めてしまうので真冬のあいだは小鍋で煮出していた。ここのところは急須で淹れている。

ドリップバッグにそおっとお湯を注いでいた時期もあったけれど、豆を挽き始めてからはだんだんとテキトウになってきたように思う。テキトウにミルで挽いて、お湯と豆が混ざり合うのをぼんやりと見ながらテキトウなタイミングでよしとする。
酒蔵の杜氏さんのような肌感覚で『みる』感性がほしいなあ。なんてことをぼんやりと考えながら、上出来だったりイマイチだったりする珈琲を味わう。

「こんな暑い日にホットをブラックって、よほどお好きなんですねえ。珈琲。」
ふと、いつぞやふらっと立ち寄った珈琲やさんのおねえさんが言っていたことを思い出す。ちいさなオープンテラスにて猛暑日の日差し差し込む昼下がり、暑いから扇風機の前にどうぞとベンチに座って談笑していた。
珈琲好きと語るひとたちは日に何杯も飲むひとばかりだったので、一日一杯を週に数回の習慣は該当しないと思っていた。しかし言われてみれば、この風味が好き、この豆はなんていうんだろう、この器いいなあ、どこのメーカーやろ。なんてこころをキョロキョロさせながらお気に入りのお店をこころの中でリストアップしていたので「ああ、たしかに。すきかもしれませんねぇ。」と珈琲好きを自覚した。

そうしていつのまにか肌感覚で『みる』ことを始めている。ある日そういう野望というものがふつふつと沸いていた。感じてみたい。
香りというものは心身の力みが素直にほどけるのでほどよい匙加減を身につけるのにうってつけかもしれない。視力に頼るよりもすなおに体にすとんと入るので覚えもいい気がする。たぶん何年後も「おお、イマイチ。」なんて言って味わっていると思うけれど、たのしくっておもしろい日々に違いない。