からすのしっぽ

日々のおおまかなことを書いています。

自己表現のための言葉を見直す

karasunoshippo.hatenablog.com


追記のような。

たとえば『被害者』『加害者』というように線を分ける言葉を用いるのは客観的に整理するための道具であって、感情のなかに押しこむものではない。そうしなければ怒りや失望感などを処理できない過程が一時的にやってくるが、それを過ぎれば言葉の概念だけで感情を測ろうとする自分自身への無責任さに怒りが発生しているにも関わらず、まるで思考停止しているように何もかもを見過ごしてしまうから。

気がずどんと落ち込んでいるが実際のところ「ボケてる」と自覚した。
どうにも環境に適応するための鎧を自己愛と勘違いして、本質的なさみしさから逃げていくので、自由の身になっても他者への言い訳を考える癖がある。

しかし鎧なんか着ていたら漂流できないぞ。という現実がやってくる。
みずが湧いて大岩を削り大海へいくように、なにもかもすっぱだかのこころで川の流れに身をゆだねたいのに。鎧が重くて浮かばないし、柔軟性と周囲の調和性がないから岩にぶつかってばかりだ。

日常的に脱力することを心がけて日々を積み重ねていくうちに『ちからは抜けば抜くほど出る』ということを体感している。さみしさを隠し続ける代償が重たく感じるきょうこのごろ、ようやくボケている場合じゃあないと危機感と違和感が芽生えた。

年を重ねる楽しさが日ごと日ごとに増えていく。
自分自身に向けている言葉を見直したい。