からすのしっぽ

日々のおおまかなことを書いています。

一週間をふりかえる

あれまあ。もう金曜日。
なりわいにしたいことの下地を作ろうと0.2mmほどのゆるやかなスモールステップをしている日々。
家に引きこもって人に会って話す機会があまりないので、かわり映えのない単調な日々なのだけれど、その数少ない談笑からスパイスを『ピッピッ』と振られたような一週間だった。このおかし、なんかいいにおいするぅ。というかんじ。

食事をすると体が冷えるこのごろ、でもある。
寒いのであたたかいうどんを好んで食べているのだけれど、どうも小麦はからだを冷やす作用があるらしい。食欲はあるけれど(だからこそ食欲があるうちに)ゆるめの断食とレトルトの玄米のおかゆに切り替える。
鍼灸治療を受けて自覚していないからだの緊張に気づく。性にあったことをしているので気分はおだやかなのだけれど、なにもかもがはじめてのことばかりなので敏感に繊細になっているのかもしれない。

緊張している、ということは集中しているわけでもあって。わくわくするこころばかり注目しないよう気をつけたいな、とおもう。


それから運動。
秋くらいから甲状腺を患った影響で息を切らしていたけれど、このあいだ傾斜の強い坂道をてくてくと平然と歩いていることに気がついた。この冬は散歩もできなかったので、すこしずつからだを伸ばしていきたいなあとおもう。

この緊張感を動いて発散しながら、適度なものにできればいいなあ。
きょうのさんぽの道中、カラスちゃんが電柱のてっぺんへ向かうので目で追うと、巣があった。そういえば、そのあたりの電柱は毎年のように『巣に注意』なんていう業者に向けた立札があったような。
このへんにかえってくるカラスちゃん一家なのかしらん。なんてことをぼんやり考えていると、小学生時分は登下校でツツジの蜜をちゅうちゅうしていたものだなあと思い出した。空地だろうが所有地だろうが手が届けばちゅうちゅうと。年齢を重ねて性分に従う豊かさは深まっているはずなのに、あたりかまわず手を伸ばす自由さは衰退してしまったように感じる。カラスちゃんの巣作りの自由さは、ちょこっと似ているような気がした。