からすのしっぽ

日々のおおまかなことを書いています。

結果にいそがない

「パパにもママにも、学校の先生にもそんなこと教えてもらえんかったから、そっかあ。その手があったかあ~」
なんだか不意に、おどろきとはっけんの顔をして手を打っていた男の子を思い出した。


二十代半ばくらい。小学校の学童保育でアルバイトしていたときの話だ。
一年生の男の子がしばらく泣いていたんで事情をきいたところ同級生と喧嘩してしまったらしい。そしてそれは意図せずに喧嘩に発展しまったそうなので「ほんとうは伝えたいことがあるのに、それをことばにできなくて伝えられなくて、モヤモヤしたまま言い合っちゃうときはなあ、ことばにできないからちょっと待って~言うてええんやで~」と、話した。
そっかあ、そっかあ。と何度もうなずいていた彼はそろそろ中学生かしら。ひなたぼっこをしながら仰向けでおなかをごろんごろんとしているねこちゃんみたいなひとだったなあ。

 

あのとき居合わせた大人は「もう泣かへんの。」と、ひとことで済ませていたけれど。個人的には、こどもの喧嘩はおおいに言い争ったらいいと思っている。けれどその後の消化不良を起こしていることのケアは手伝ってもいいんじゃないかと思う。からだやこころが外に出したがっているものは、たとえ不格好でも外に出したほうがいいように思う。


ときどき過去に反射的に放った言葉が自分の内に返ってくる。
このところ、あとどのくらい叱ってくれる大人に出会えるのだろうと、そんなことを真剣に考えているような気がする。感情表現をへたくそに不器用に、そしてときどき恥をかいて壁にぶつかって……というような過程を自分自身のさじ加減でたのしみだしたのかもしれない。