からすのしっぽ

日々のおおまかなことを書いています。

読む

図書を借りる。
読むのが遅いので貸出期間の二週間では読み切れず延長手続きをするのだが、膝の上にやってくるねこちゃんにここちよさをおぼえてうとうとしているうちに本を読む熱量が覚めてしまい、読了せずに返却。ということをくりかえしている気がする。
どんなにおもしろくても読みかけの続きが気になるような衝動が起きないので、いつのまにか眠気を優先している。映画などの映像作品はみてしまうのだけれど。

こどものときから読書習慣がなかったので、単純に読書をするための筋力が足りないのだろうとおもう。中学生のころは作文力をほめられることが多かったので「本、たくさん読んでるやろ」なんて言われることも多かったけれど、学校の図書室、まちの図書館や本屋さんへ通うことなんてなかった。そして『ぜんぜん読まない』でいまに至る。


おとなになってから本を読むひとにであい、その影響で児童書に手を出したものの。本を読むことに興味はあるけれど優先度が低いようだ。なかなか習慣にならない。
伝えるための技術はすこし身についているけれど、文章を書くこと、話すこと、弾くこと、の即興的な反応が十代のころとあまりにも変わっていない気がしてモヤモヤしている。散歩中に「この風景をどんなふうにかくんだろう」と考えることも増えた。が、語彙力や言い回しのパターンなどがなんともさみしいもので。スッカスカの引き出しに読書(ものがたり)の重要性を痛感している。

それに加えて外出先で文学のはなしをするおとながいると、なんだあれえ、かっこいいぞお。と憧れることも増えた。たぶん「あれえ。案外、初対面のひととも話せるぞお」というはっけんが背中を押しているのだろう。できないと思いこんでいた苦手意識が薄くなっていくたびに「なんだあれえ」がふくらんでいるような。いい機会なので読了するかは置いといて、図書館へ通うことは習慣づけている。


図書館にも本屋さんにも置いていない気になるタイトル(要約)は古書を買って、ぱらぱらと目を通して頭に索引だけつくり積読しているので本棚から「いつ読むねん」と声がきこえる。気がする。
読書習慣の優先度を上げる意識をしてみよう。読んでいるふりだけは一丁前なんだが。