からすのしっぽ

日々のおおまかなことを書いています。

積読本を手にとる

一節に凝縮されたことばを体内で消化するのを待っていたら、ふたたび本を開くことが一年越しになってしまった。ということにしておこう。積読の光景を眺めてふと思い出したが、たぶん「つまみ読みじゃあなくて、通読するぞお」という意志すら忘れていたかもしれない。

もじどおり何冊か本を積んでいる。日焼けして紙の色が茶色くなっている古い文庫本『エミール(上)』の下に同著『孤独な散歩者の夢想』新品の文庫本がある。読み進めるとふらふらと寄り道がしたくなる作品なので、このくらいの、うっかり忘れている、くらいのペースで通読するのがちょうどいいかもしれない。
じぶんの尺度でことばを受け入れて、よくもわるくも振り回されることが、年を重ねるにつれてたのしくなってきたかもしれない。自分自身の経験で得た感受性の色彩と、どこのだれだかわからないひとのことばが、じわりじわりとまじりあう過程がなんだかいいなあとおもう。

環境変化だとか体調不良だとか。で、なにもかも忘れていたけれど、ひととの再会や新たな出会いにより「これ、やってみたいのさ!」という道に戻る仕組みのようだ。それにしても読書習慣がないので、じぶんでじぶんのおしりをぺしぺしとたたく必要がある。しかしながら、ねこちゃんが膝に乗ってきてぬくぬくしてうとうとするので、読了を目標にしてはいけない。本をひらく意志を優先できればそれでいい。


やることは、いたってシンプル。
もしも、ねこちゃんとぬくぬくしてうとうとして一日が終わることに焦りを感じてしまうのならば、それはこころが力んでいる証拠だから、なにもかもをまあいいかとあきらめて脱力する機会にすればよい。我ながら、わかりやすいスケジュールでたすかる。