からすのしっぽ

日々のおおまかなことを書いています。

見直す。のち、忘れる。

久しぶりに生活音に耳を痛めている。耳栓を試みるが右耳が外耳炎のように荒れていて皮膚呼吸できない不快さで装着できない。先日おおきな音に疲れて、いまだにうまく立ち直っていないようだ。おそらく血のめぐりの悪さも原因だろう、即効性はないがビタミン剤を摂取する。近いうちに温泉へいこう。それにしてもこうなるまえにストレス度を可視化できたらいいのにィ。とおもう。
結婚してから聴覚過敏だということを知った。ラジオやテレビなど周囲の音を気にしないようすでスマートフォンで動画観賞しているつれあいに驚愕したのがきっかけとなり、いままで疑問に思っていた「みんなこの痛さ、どうつきあってるんやろ……」が見事にすっ飛んでしまった。そうか、本来はききたい音を分別するのか。だったら疲れやすいときは騒がしいところはやめておこう。と対処方法を得たので気楽になった。はずなのだが、なかなかじぶんのことに鈍感なので『うっかりやっちまう』ことがある。

『うっかりやっちまう』まえに睡魔なりで強制終了してくれる仕組みがあればなあ。……あっ、そういえば、はげ、できとる。ちゃんとお知らせしてくれとるよお。と、うっかりしてうっかりしていることに気づく。反省。

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健康管理ってたいへん、たいへん。たいへん。
「はげができたぞお! お先に失礼しまあす!」となんでもお祝いしてしまうひとなので反省したところできっと忘れてしまう。どうしたものか、と悩むふりくらいしたほうがいいのかしら。どれだけ真剣に『困っていること』を自覚してもけっきょく忘れてしまうのなら、重度の糖尿病を患いながらも自力で生活してボケずに九十三歳まで健在だった祖父の「これネ、病気をアルコール消毒してんダヨ」にっこり飲酒にならいお酒をくいっとしたほうがよさそうだ。

このあいだ飲食店にて、メニューにあるにも関わらず、もう一度のみたいと切望していたテキーラを、そしてカクテルすらのみそこねた。マスターのおっちゃんはとても温厚でいいひとだったのに(そういうひとがつくるごはんは絶対になんでもおいしいと信じている)、数年前に体調管理のためなんとなくお酒を断ち、しばらくお酒をのんでいないからとアルコールを敬遠したのだ。

のんべえの血をひいていながら全く飲酒しないのはからだに毒なのかもしれない。
医学云々のことはさっぱりわからないが、からだの構成で困りごとが発生するのなら、脈々と流れる血のなかに解決策があるように感じる。あたまでっかちで見失いがちな身体性をみつめなおす機会がきたのかも。
お酒の耐性や性格傾向が両親に似ず遠くに住む祖父に似ていることを知ってから、目の前の環境で決着をつけずに身体の基盤をおもいやることを意識している。どんな状況でも「なんとかなるだろう」というきもちがふくらむにつれて、自分自身の取り扱い説明書を得るのかもしれない。

やること
温泉、にごり酒、梅酒のほうじ茶割り、ねこちゃんとおひるね。

からだがアルコールに馴染んだら、ゆったりとのめそうな場所を探しにでかけたい。外向的というわけではないが、思春期をこじらせて閉塞感のある内向的な言動が雪どけのようにとけてほどよい内向的な人間になっているような気がする。どうも活力がみなぎるひとに好かれるので、健康維持を保ちながらいっしょに笑いたいなあ。とおもう。