からすのしっぽ

日々のおおまかなことを書いています。

ながれにゆだねる

ひとが物事をはこんでくる。どれも以前から興味があってやってみたいとおもっているもので、ここ最近ふとおもう『感受性の幅を広げたいなあ』というテーマが共通しているけれど、病み上がりにはなかなかに目まぐるしい。

おさそい
ラテン音楽
・登山(とりあえずの最終目標は御在所岳……)

ここ数年登山をしていない。低山へ通うぞお。と思っていたけれど体の具合が悪く数回通ってそれっきり。やっと再開できるぞお。と思っているところに甲状腺を患ったので、運動不足にずっとモヤモヤしている。病気の関係で臆病になったのか、一月ごろに近所の吊り橋へ出かけたら、いままではなんとも思わなかった高さを全身で拒絶して一歩も動けなくなってしまった。怖さと驚きで泣いた。なおったのか確かめに行かねば。

やること
・体力づくり(あるく)
・腸活
・吊り橋へ行く
・からだの点検

かけ足しても変な息切れを起こさなくなったので、散歩くらいの軽めの運動から再開しているところ。気力も落ちてのろのろしているわたしには「やりましょう!」のありがたい一言に圧力を感じてしまう。みんなそんな、あわてるなア。と思わず叫んでしまう。が、やっぱり自分がのろのろしすぎているのかもしれない……地域性でせっかちなひとが多いことも確かだが。やれやれ。


じぶんにないものを数えていても他人に嫉妬するだけなので、上手だとか下手だとかそういう枠でとらえずもっているものをだいじにしていこう。と顔を上げた矢先、たまにしか人間に会わないくせに、その場面で出会った人間が物事を運んでくる。
ひとの縁に恵まれているようで。そのときは表面的に関わったり全く関わらなかったりしても、また『やりなさい』とばかりそういうひとたちが現れるので、沼にはまる覚悟と勇気をだすしかない。えいっ

それでもけっきょく、おべんきょうなんかはねこちゃんをひざにのせて、そのぬくぬくでいつのまにか眠っているくらいがちょうどいい……と感じるひとなので、進捗はのろのろとしているだろうけれど。あ。

最優先でやること
・しっかりオフになれる環境づくり
・よくねむる

ふと。そういえば年賀状に「おもいタツたが吉日…」と書きそえて配ってしまったのだった。本厄のようなのでからだの調子を優先しつつ、からだのボケを修正しつつ、やりたいなあをだいじにできればいいなあ。なんでも上手にやろうとしないテキトウさは身についてきたし、どんなにちいさなものでもはっけんの日々なので、うれしいことには変わりない。


れんしゅう、れんしゅう。
じぶんはいったいどこに、なにを目指しているのかさっぱりわからないけれど、筋肉痛もできないモヤモヤも、なんでもケーキでお祝いするぞお。という意気込みだけは立派。
まあ、ながれてみよう。

素手でさわるよろこび

洗濯物をとりこもうと洗濯機のふたを開けたら、ちいさな、小指の爪ほどの大きさの墨色のような黒いくもちゃんがポーンと洗濯槽へ侵入してしまった。さいわい洗濯物に着地したので、洗濯槽の隙間へ進出するまえにつかまえることができた。
ふと、くもちゃんを素手でさわるのは初めてかもしれない。と気づく。いままではどうやってさわったらいいのかわからなくて、厚紙などを使ってそこへ移動してくれるのを待つか、素手でさわることに抵抗はあるけれど軍手越しだったら平気という自分のなかで『これならあんぜん』とよくわからない線引きをしていた。

いま、手のなかに、いるぞ。いるぞお。
という感動が伝わったのか、最初は手のひらであちこち逃げ惑う様子だったくもちゃんが、数秒後には落ち着いていた。えっへん、という顔をしてこちらを見つめてくれたので、ついでに顔を観察させてもらった。「かわいい、おめめしてるなあ」というと、居ついてしまった。が、外へ出て、土の上にかえすと、うれしそうに去った。

こどものころにむしとりをしてこなかった反動か、成人してから『むしとりはかせ』や『むしとりおじさん』といったひとをやけに魅力的に感じてしまう。そういうわけで、ようやくくもちゃんを素手でさわったことはケーキでお祝いするくらいのよろこびのはっけんがある。


くもちゃん。というカテゴリー名しかわからないので、こんど図書館で昆虫図鑑をみてみよう。

日々のゆるゆるのために

なんだか、たまねぎをあたまのツボ、百会にすえたい。気がする。
はたしてそれが効果的なのかはおいといて、ねこちゃんがたまねぎのかおり苦手だったりするし、ここはいったんたまねぎをスライスしてテキトウに味付けてサラダにして食べる。あいかわらず発熱しないので顔を中心に上半身は火照るし冷えのぼせして気だるいのだ。
鼻水にからだじゅうすべての水分を持っていかれている気がするほど、花粉症のひとみたいにティッシュを手放せなくなってしまった。それでも花粉症じゃないし外出するくらいの体力はあるし、たぶん運動不足による症状なので、これからはどんどん動いていきたいなあと思う。

風邪くらい、こどものときのようにすんなり発熱してすんなり治したいなあ。
腸活するかあ。と感じる、きょうはそんな日。

ひとつずつがいいなあ

ながら作業に慣れてしまった。食事ですら何かをみたり何かを考えたりして食べることに集中していないことが多い。ひとつずつこなしてできなかったぶんは潔く諦めたいものだなあと。
体調に見合った食材をからだで選択できるなら、なんだかもったいないことをしているような気がした。思っているよりもからだはすなおなんじゃあないかと、なんとかこの感性を伸ばしておきたい。


ツバメちゃんが忙しなく飛んでいる。いつのまにか巣ができている、と思ってあたりを見渡すと、きいろ、ももいろ、わかくさいろ、みどりいろ、色彩豊かな季節になっていた。じぶんのなかに四季のような緩急ってあるんだろうか。なんだか、休眠不足だなあ。反省。

モヤモヤを楽しむ

声がワントーン低くなった。もともと男性に間違えられるほど地声が低いので普段は少し高い音で話すのだが、その余所行きの声がでなくなって喋ると胸が共振している。
のどの痛みと咳と、のどと鼻のあいだの空洞から首のうしろ側がねばねばしているかんじ。風邪を引いたかも。先日(いまできる限りの範囲で)はだしになって身体中ビリビリするほどうんと集中することがあって、その翌朝からのどの違和感が発生して、今に至る。からだがついてきていないなあ。トホホ。

いまのところ発熱していないので、今日は今日の雨のおとを楽しむ。今日の雨は冷たいし、きのうすこし汗ばんだぶん寒く感じる。
ありがたいことにそのときどきの体調に相応しい、たまねぎを、さつまいもを、ごぼうを、と体が欲しているものをしぜんと食べたくなる食欲を持っている。そういった野菜たちをぶった切ってフライパンで炒めてぐつぐつしてテキトウに味付けてスープにしたテキトウなものをおいしくもぐもぐしたのち、これまたテキトウに淹れてたまたまおいしくできた珈琲をのんでぼおっとしている。ああなんか、オセロしたいなあ。友人を呼びだすこともできるけれど、いまはやめておく。


ふとやってみたいなと今月よりNHKラジオ英会話を取り組むことにした。
ここ数年、児童文学の英語朗読を聞いて雰囲気を楽しんだり、母語を習得するこどものように衝動に任せてナンチャッテな宇宙語で真似をしたりしている。そんな習慣をゆるやかに続けているうちに学びの好奇心が高まってきたもよう。
それに現時点わたしは英語を話せないが、なぜか外国人の友人ができる。相手が流暢に日本語を話してコミュニケーションをとってくれるので困ることはないが、外の世界をのぞいてみたいと純粋に興味がふくらみ続けるし、ラジオDJさんがかっこいいんだなあと(これはこどものころからあったかもしれない)感情が噴火している。

あ、いまか。いまやることか。という時期が来たのかも。
急いで学ぶとそのうち嫌になって習慣にならないだろうから「うーん、わからん!」と理解できずにモヤモヤしても、そのうちわかるようになるだろうとモヤモヤを貯金していったん忘れるようにしている。このモヤモヤがなんだか快感で、利き手が矯正されたものから自然体へ整いつつあることにより頭の使い方がずいぶんと変わってインプットがだいぶ楽になったなあと我ながら感心している。


週末に参加してみたいなあと感じた用事があるけれど。
風邪っぽいし、はげもみつかったし、つめこみすぎたかもしれない。もうすこしモヤモヤの快感を積み木してから参加してもいいことだなあと。結果に急ぐ癖を見直す。
のびのびやわくわくとハラハラやめそめその、両面性の関係のバランスを崩しているんだなあ。そんなことをおもう。きょうはそんな日。

はげをはっけんする

円形脱毛みたいな……小さいけどはげてる。前髪で隠れるけど、みる?」
「みる、みる」
おでこの左脇の延長線上に小指の爪ほどの小さな白い空間、はげを発見。約二か月前の散髪時には見当たらなかったので、ここ最近にぽっかりと出現したもよう。
薄毛進行の加速を気にするようになったつれあいに「もういっそ刈ろうよ」と提案するだけのことがあって、はげていると言われても、手鏡越しに認識しても、べつになんとも思わなかったけれど、いったんお祝いしとくかあと美容院の帰りにスーパーへ寄ってアイスを買った。


ようこそ、はじめまして、はげちゃん。
さくらが咲きはじめたので、いっしょに花見でもしましょうか。


将来はげたらどんなきもちになるんだろうと思っていた。
けっこう、のんき。いやあ、我ながら、のんきだなあ。

対人関係をみつめる

こころなんてものは表面上の態度や言葉だけではかるものじゃないなあと。ましてや他人なんて。とおもう。
相手が問題に参加せずに逃げてしまうのなら、そしてその相手がこの先も付き合っていきたい人間なら、こちらの許容度をなおしたほうがいい。相手の変化を期待するよりも自分の足元を見直すほうが容易い。表面だけの情報で判断される苦痛はわたしの身にしみついていて、それを相手へ与えてしまうことの怒りが自分自身のなかに芽生えているのでしぜんと回避できるものだろうし。


ながい付き合いのなか『相手が自覚していない感情を肌で感じてしまう』ことの処理に困っているあいだは、まだまだ幼いんだろうなあ。ひとそれぞれの自己防衛の手段に対応できるように、このひといいなあとおもう聞き手や話し手を探したい。


きょうは風が強くて日差しがあつい日。花壇の水仙が一気に咲いた。