からすのしっぽ

日々のおおまかなことを書いています。

からだで雨を感じる

あ、キジたろう。はっけん。
よくとなりの空き地に出現していたのだけれど、ここ数年は見かけなかった気がする。なんだか久しぶりに近くで見ることができて安堵のような感情を抱く。
雨が降るまえに洗車を済ませてしまおうと、空を仰ぐとトンビちゃんが低空飛行中……きみら、ほんまよく会いに来てくれるなあ。わたしが外に出ると必ずトンビちゃんがやってくる。これはこどものときからのことなので、ときどき、そのうち鳥使いになるんじゃあないかとおもっている。

カエルちゃんの声に耳をすまして雨の距離をはかる。雨のにおいもまだ遠いし、いまやっちまえば間に合うはず。そんないいかげんな天気予報がよくあたる。洗車が終わるとキジたろうの鳴き声を合図に、スズメちゃんやらツバメちゃんやらトンビちゃんやらの鳥ちゃんたちは集団でなぜか南のほうへ飛び去って、ぽつぽつと雨が降り出した。

黄砂が落ちて雨を撥水している窓ガラスに、にやりにやり。
洗車後すぐに雨にあたることを嫌うひとがいるけれど、個人的には常時汚れるものだと割り切っているので、なんというのか、この、雨の撥水ぐあいをみて、にやりにやりとしてしまう。何度みても水が弾けているさまは見飽きないなあ。


そういえば。誰に教わったわけでもないのに雨を感知することができるのは不思議だなあ。日々のぼんやりと何かを眺める仕草のなかに、こんなふうに知恵を得る情報がけっこう埋もれているのかもしれない。何を感じ取ろうとしているのか、意識的に自覚できるようになったらもっとせかいが広がるかしら。
日付、気温、時間、エトセトラ。を数字で整頓することに慣れてしまうのは、やっぱりもったいない気がしてきた。きょうはそんな日。